9 自然科学地理風水を取り入れた地域づくり

9-1 古代都市の自然科学地理風水の応用

 21世紀は自然科学地理風水社会の到来です古来より中国では風水思想が都市計画に大きな影響を与えてきた。それは王都建築として発展し風水デザインを確立させた。風水の基本に「蔵風・得水(ぞうふう・とくすい)」(風のため、水を得る)があり、この思想を元に吉相の地を探すことから風水は始まる。特に「得水」は重要で、都市建設に於いて「水」の確保は最優先である。次に「蔵風」である、これは建設地周辺の地形から吉相を判断する事である。夏に起こる災い、台風(モンスーン)と冬に起こる災い極寒の北風(季節風)から都市を守る、そして外敵から都を守る為に蔵風は使われた。それは四方に四獣(四神)相応する土地(四獣とは四方にある山・丘を指す)である事。その様な土地は盆地形状が該当する。これは「偏西風」が吹く地域の古代都市は盆地上の土地に建設されている事と共通する。西ヨーロッパ・中国・韓国など古い都市にその傾向が強い、寒い風から守るため盆地の選定をしている。

  

中国風水は土地の選定に対し細かい技術を持ち、特に王都建設地は風水思想の吉祥の地であり「坐北朝南」「負陰抱陽」(北を背に緩やかな傾斜に南面し座る)と言う場所が重要視されている。陰と陽の気がうまく交じり合い「半陰半陽」のバランスがとれている、恒久の発展・成長が望める地を探すことにあった。そして四獣「北に玄武げんぶ(陰)・南に朱雀すざく(陽)・東に青龍せいりゅう(陽)・西に白虎びゃっこ(陰)がバランスよく配置されているかをみる。そして王都は明堂の中心に建設され、宮城は王都の北端に位置する。生気の流れ込む入口が北であり。「坐北朝南」「天子は南面す」事を吉とするから北に位置し南を見る事が重要となる。風水都市デザインの基本は「天心十字の法」で南北ライン・東西ラインを四神に合わせ対称軸をつくり軸の交差する点が王都の明堂であった。 

 

 中国から伝わった風水学は遷都、藤原京・平城京・長岡京・平安京・東京(江戸)の都市形成の歴史に深く影響を及ぼしてきました。次第に風水建築へ進んでいった。その中でも風水を強く意識できる建物として中庭形式の建物が主流となり、神聖な神社仏閣で実践された。権力者や識者達は安泰と繁栄を導く要因として、建物の特に「中庭形式の効果(風水の力)」から風水建築の実践で効果のあった手法は家相と言う名のもと、「凶・大凶」と指示し、忌み嫌わせ、差障りのない建物を作らせた。今後、私達は、家相(鬼門)という言霊から逃れ、本当の風水を積極的に利用し、風水本来の目的である「居心地の良い・気持ちの良い空間」を作り出してきた。

 

日本における、最初の本格的な都として694年(持統8年)に完成したのが、奈良県橿原(かしはら)市のある藤原京です。造営のモデルとなったのは中国の洛陽で、特徴は碁盤の目状に道が配置された都市デザインである。中でも天皇の政務を行う大極殿は幅45m奥行き20m高さ25mで当時は日本最大の建築物であった。この大極殿跡から周囲の地形を見てみると北に耳成(みみなし)山140m、東に天香具(あまのかぐやま)山152m、西に畝傍(うねび)山199mが見え、南は飛鳥川が流れている場所で軸線が意識出来る事がわかる。風水的に見ると耳成山は玄武、天香具山は青龍、飛鳥川を水朱雀さらに南には吉野山地で山朱雀、畝傍山を白虎とみたて四神相応の地と呼ぶ事が出来る。風水を利用した事は間違いないであろう、又これら三山は人工的に作られたと言う説や墓であると言う説もある。人口造山であれば、藤原京は確実に風水都市であったといえる。

 

平城京は710年から784年までの奈良時代の都である。風水に関する人達の中には絶好の風水地形と呼んでいる。「続日本書紀」に元明天皇が和銅元年(708年)に発した「遷都の詔(みことのり)」によると風水によって、土地の選定と都市計画が出来た事が書いてある。風水の絶好の地には北には丹波山地があり、三国岳959メートル・天狗岳928メートルが連なり、その姿は巨大な龍の背中の様に見える、その強い龍脈が貴船山699メートルそして船岡山111メートルと伝わり京都御所の龍穴へと流れ込む姿がイメージできる。この形が理想的な地理風水の玄武の姿であり絶好の守りであり地理風水の教科書のような地形をなしている。地理風水の「砂環水抱(さかんすいほう)」の地である。穏やかに暮らす、平和に暮らす、暮らしを守る事を意とする場所である。1,000年以上都を留まらせる力を持つ場所、それが平安京である。それは、地理風水の持つ気持ちのいい空間」と「強い気を発する空間」の融合であり、「陰陽和合」の技の賜物かもしれない。

 

    9-2 日本の自然崇拝と世界観

古神道は密教仏教道教などの外来宗教の影響を受ける以前の神道のことである。古神道は原始宗教ともいわれ、神道は自然崇拝であり、百万の神々。山の神、海の神、風の神等。大自然そのものが神様として崇めてきたわけです。日本だけでなく世界各地で人が社会を持った太古の昔から自然発生的に生まれたものである。その要素は、自然崇拝精霊崇拝アニミズム)、またはその延長線上にある先祖崇拝としての御魂などの不可知物質ではない生命の本質としてのマナの概念や、自然界の目に見えないエネルギーも神と呼んできました。それが雷神、風神、火の神であったわけです。日本人は目に見えない精神的な存在、霊的な存在をすべて神と呼んでいました。死人も霊的な存在として神と見なして祀り、弔ってきました。神道でいうところの神というのは、目に見えない精神的なすべての存在を指していう言葉であり、自然界のエネルギーそのものであったり、ご先祖であったり、故人であったり、時には人々に災いをもたらす怨霊と呼ばれるものであったりもするわけです。そして、人々はその神たちに時に感謝をし、時に崇め敬い、時に人々に災いをもたらさぬように、その霊を鎮めるために祀るのです。それが日本人、そして、神道の神観です。

自然界の目に見えないエネルギーも神と呼んできました。それが雷神であったり、風神、火の神であったわけです。目に見えない精神的な存在、霊的な存在をすべて神と呼んだのです。

 

自然崇拝

 自然崇拝の信仰は現在も神社に残っています、具体的には、神社の(やしろ)の境内にある注連縄が飾られた御神木霊石、境内に限らずその周囲の「鎮守の森」や、海上の「夫婦岩」などの巨石などが馴染み深いものである。また、を五穀豊穣をもたらすものとして「稲妻」と呼び、磐座信仰から派生した庚申塚、自然に存在する依り代としての(霊峰富士)・などは神の宿る場所でもあるが、常世と現世との端境であり、神籬の籬はという意味で境であり、磐座は磐境ともいい、神域の境界を示すものである。実際に、「沖の島」のような神社や森林を含めた全体が禁足地としている場所も多くあり、その考えは神社神道にも引き継がれ、さまざまな建築様式の中に内在もするが、例えば、本来は参道の真ん中は神の道で禁足となっている。結界は一般家庭にもあり、正月注連縄飾り節分の「鰯の干物飾り」なども招来したい神と招かれざる神を選別するためのものでもある。また、集落などをつなぐ道の「」には石作りの道祖神地蔵があるが、旅や道すがらの安全だけでなく、集落に厄災を持ち込まないための結界の意味がある。